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視力を失った女の家に殺人容疑で警察に追われる男が忍び込む。
見えない女と気配を消さなくてはいけない男の物語なので全ストーリーの半分以上をしめる“ミチルの家”の下りに台詞はほとんどない。撮影直前の田中麗奈は「台詞がない方が好き。発音のニュアンスに捕われずに、気持ちを表現できるから」と語り、同じくチェン・ボーリンも「気持ちを伝えるのは言葉じゃない。ハートだよ」と語っていた。同じ部屋にいながらも、二人の間にある“距離感”を表現する方法の模索が始まった。


視力を失い、たった一人で生活し、身の回りのことをこなすミチル役を演じる田中麗奈は、撮影前に、視覚障害者の施設を見学し、プライベートでもアイマスクをして生活をするなど、役に対しての準備をしてきた。しかし、実際に撮影に入ると“見えているのに、反応しない”という芝居は想像以上の緊張を与え、「お客さんに“見えていない”ように“見えなければいけない”」演技が要求された。
ミチルが窓の方に顔を向けたり、家の中でアキヒロとすれ違うなどの見えないはずのアキヒロとの共同生活の芝居では「一瞬目線があったように見えた」「目の奥に反応があった」と天願監督と古谷カメラマンの厳しいチェックが入る。「芝居としての気持ちは出来上がっている。でも、映画はスクリーンを通してそう見えなければいけない。その物理的な方法を探っている」監督は麗奈に説明し、執拗にテストと撮り直しを重ねた。
ある食事のシーンで、テストを何度も重ねたため、茶碗の中のご飯がなくなっていた。目で見ればすぐ気付くことが、“見えない”芝居を貫いている田中には本当に見えていなかった。


殺人容疑をかけられ、身を隠すためにミチルの家に忍び込む青年アキヒロ役を演じるチェン・ボーリンも緊張を強いられていた。ミチルに気付かれないように存在する、という芝居をしなければならない。一つの動作に何度も何度もテストが繰り返される。「音をたてないようにどう首を動かす?」「気づかれないように場所を移動するにはどうする?」天願監督の問いかけに対して丁寧な身のこなしで応える。いつも陽気で、スタッフ・キャストを和ませるボーリンも、セットの中では厳しい目つきで監督の話に真剣に耳を傾け、芝居に挑んだ。
言葉(セリフ)という方法ではなく、アキヒロという存在を表現する術を模索するボーリン。彼はこの緊張感の中からその表現方法を会得し、強くも優しい眼差しと細やかな身体の動作によって、アキヒロというキャラクターが出来上がっていった。


田中は小学生時代、ピアノを習っていたが、なかなか上達しなかったというトラウマを持っていた。しかし、小説の心のモノローグを映像化で封印した天願監督が、この作品のために用いた手段はピアノ。亡き父親から渡されたオルゴールの音をミチルがピアノで辿る。ミチルの心が開いていくにつれて、その音が見事な曲として表現されていく。
撮影手法としては、吹き替えで手元を撮影することもできるが、天願監督にも田中麗奈本人にもその発想はなかった。曲を暗譜するのも、容易ではなく、盲目という設定のため、鍵盤を見ることもできない。ピアノを弾く最初のシーン。静まり返った本番の中、麗奈は音を外した。何度か撮り直すがつかえてしまう。失敗がさらに重い空気を呼び、指がつまずく。
田中は猛練習をした。いつしか撮影の準備時間の度に、セットの中をピアノの練習の音が響き渡ることになる。
二度目の演奏のシーン。軽いつま弾きから次第に曲として完成していく演奏。最初の失敗から猛特訓を繰り返した麗奈だが、明らかに緊張し、何度かミスタッチをする。監督が田中に言った。「この曲はミチルの気持ちなんだよ……」。そして、挑んだ本番で見事に曲を演奏。天願監督は微笑みながら拍手を贈った。


チェン・ボーリンにとって、大きな挑戦となったのは“日本語”だった。
異国の地で孤立していく青年・アキヒロが、日常の見えない悪意に心を閉ざしていく様を見せるためにも、「ボーリンには完全な日本語を話してもらう」それが天願監督の目指したことだった。台湾映画でも田中と共演し、前作の現場でも撮影終了後「暗いところで待ち合わせ」の本読みを自主的にしていた二人。ボーリンは日本語で冗談を言えるほどの語学力があったが、監督がこだわったのは“発音”だった。「アキヒロの言葉がすんなり伝わらないといけない」。ボーリンの特訓が始まった。撮影準備中には天願監督の仲間でもある萩生田監督が、台本を読み込み場面に即した発音を指導。撮影に入ると、休憩中もキャスティングの楠本氏が、撮休の日は天願監督自らが指導にあたった。
物語のラストでの長台詞。監督、田中を初め全スタッフが緊張する中、アキヒロはミチルに静かに語り始める。一ページ近い台詞を一度も間違えることなく終えた。「思わず聞き込んでしまった。細かい発音がどうということではなく、アキヒロの気持ちがはっきりと伝わってきた」と満足げに語った天願監督。
三ヶ月近く共に過ごした田中とボーリンは、始終冗談を言い合い、麗奈はボーリンに日本語を、ボーリンは麗奈に中国語を教えながら過ごしてきた。彼が最後に発したミチルへの台詞は、確かに、懸命に生きるアキヒロという人間の心の言葉として届くものとなった。