公開記念!桜木紫乃特別書き下ろし「もうひとつのホテルローヤル」 公開記念!桜木紫乃特別書き下ろし「もうひとつのホテルローヤル」

一六歳の夏休みだった。

新聞に清掃パートの求人募集を出した。パートさんは昼間と夜、ふたりずつ。ひとり辞めてはひとり雇うということが繰り返されており、なかなか補充のきかないときや、パート代を惜しまねばならないくらい余裕のないときは、わたしと母が穴を埋めていた。

その日面接にやってきたエイコさんは、今まで間近で聞いたことのないイントネーションで話すひとだった。年の頃は四十代半ば。生まれは九州と聞いた。エイコさんは当日の夜から「ホテルローヤル」で働き始めた。

柔らかい言葉で話すエイコさんは即戦力で、教えたことはすべて一回で覚え、母に言わせると大当たり。無駄話もしないし、かといって陰気でもない。私もすぐに、ひとあたりのいいエイコさんが好きになった。

ホテルの子に夏休みはない。金庫番がひとり増えれば、父も事務所に居る必要がなく、パチンコし放題。夜中寝ずの番をしている母は、昼間少しでも眠っておかなくてはと横になる。その日掃除の伝票を渡しにゆくと、エイコさんはひとりでリネン類を畳んでいた。いつものように柔らかな声で、なぜか誕生日を訊かれた。四月○日、と答えると、エイコさんは急に泣き出した。私は、九州に置いてきた彼女の息子と同じ年で同じ誕生日だという。夫の暴力に耐えかねて、遠く北海道まで車一台でやってきた彼女は、九州でラブホテルを経営するママさんだった。仕事の飲み込みが早いわけだ。

「ごめんね、つい。このこと黙っててね」とエイコさんが涙を拭きながら言う。私は大きく頷いた。彼女が抱えた事情について、ひと言も漏らさず夏が過ぎた。冬になる前、エイコさんは夫に居場所を突き止められ、次の土地へと行ってしまった。その後息子さんとは会えたろうか。いま、どこで暮らしているんだろう。

「ホテルローヤル」は、別れの挨拶も満足に出来ない人の多い建物だった。四十年経ち、父にも母にも黙っていたことをこうして文章にしている。さまざまな傷と隣り合わせで過ごした日々が、机に向かえば鮮やかに蘇ってくる。エイコさんが穏やかに暮らしていますようにと、気づけば祈っている。